ジャーニーのアーネル・ピエダ Youtubeで人生を変えた男の物語

Youtubeで人生を変えた、アーネル・ピエダの奇跡の物語

こんにちは、タコス千景です。

今回は、アーネル・ピエダというフィリピン人のロックボーカリストの話をしてみようと思う。

ジャーニーって何?
アーネル・ピエダっていったい何者?
って人のために、まずは簡単に紹介しておくね。

ジャーニーとは

ジャーニー (Journey) は、アメリカ合衆国出身のロック・バンド。
1973年にサンフランシスコで結成され、メンバー交代や解散、再結成などを経て、音楽性を変えながら活動。また、1970年代中期から隆盛した「アメリカン・プログレ・ハード」の代表的なバンドとしても知られる。

出典:Wikipedia

ジャーニーの曲は、日本では映画「海猿」のテーマソング「Open Arms」で知られている。
マライア・キャリーもカバー曲を出している。CMソングにもジャーニーの曲はよく使われている。

40代、50代のロック好きな人なら絶対知っているバンドだ。

日本では、80~90年代に活躍した懐かしいバンドくらいにしか思われていないものの、実はアルバム総売り上げ8500万枚以上の世界的にも超メジャーなバンドなのである。

同じくらいの売り上げのアーティストをあげると、ボブ・マーリー、オアシス、ニルヴァーナなど、歴史に残るビッグアーティストの名前があがってくる。

どれだけ人気があったかわかってもらえると思う。

Youtubeで発掘された、アーネル・ピネダの奇跡のストーリー

アーネル・ピネダ(Arnel Pineda、1967年9月5日 – )は、フィリピン共和国のシンガーソングライター。ジャーニーのリード・ボーカリストとして知られている[1]。

ヴォーカリスト不在で低迷中であったジャーニーだったが、2007年秋にニール・ショーンが、YouTubeでジャーニーのヒット曲「Faithfully」をザ・ズーがカバー(アーネルの友人によりアップされていた)していたのを偶然視聴し、スティーヴ・ペリーを彷彿とさせる声質と高い歌唱力に衝撃を受け、アーネルに連絡を取る。最初、アーネルは悪戯だと思い込んで相手にしていなかったが、周囲の説得と友人のノエルの助言もあり、ニール本人だと知ると慌てて連絡を取り、サンフランシスコへオーディションに来るよう命じられる。その後見事にジャーニーのヴォーカリストとなる。ちなみに、入国審査官に渡航目的を聞かれ、「ジャーニーのオーディションを受けに」と答えると「じゃあ『ホイール・イン・ザ・スカイ』を歌ってみろ」と言われ一節歌ったところ、あっさりと入国が許可されたという。

出典:Wikipedia

ジャーニーの重厚でメロディアスなサウンドとともに、初代ボーカル・スティーブペリーの個性的かつ情緒的なハイトーンボイスの魅力は、バンドの人気を不動のものにした。

そういう私も、スティーブ・ペリーのファンである。バラードもいいんだが、やはりロックらしいちょっとハードな曲が好みである。彼の声は唯一無二だと信じていた。アーネルが出てくるまでは・・・

1998年にスティーブ・ペリーはバンドを脱退している。

脱退の直接の原因と言われているのは、スティーブが休暇で訪れたハワイでハイキング中で怪我をして、股関節炎を患ってしまったことだ。もし手術に失敗すると、歩けなくなるような重症だったそうだ。

半年以上経っても手術をするか決めかねていたスティーブと、早くツアーをやりたいニール・ショーン(ギター)をはじめとするメンバーたちがぶつかり合い、解散するに至ったようである。

スティーブは、長年バンドに貢献してきたのに、自分の体を気遣うことよりツアーを優先するメンバーに失望したと言っている。

そして、若い頃のように何十か所もツアーで回って、完璧なアクトをするのは、正直スティーブにはしんどく、もうやりきった感しかなかったのだと思う。

と、いうわけで、初代のスティーブ・ペリーがジャーニーを去り、ボーカル探しが始まったわけだが、これが極めて困難な道のりであった。

スティーブ・ペリー脱退後、ジャーニーは何度もボーカルを変えているものの、スティーブのボーカルのイメージがあまりにも強かったジャーニーは、ファンを満足させられずにいた。

ギターのニールはあらゆる人脈を使い、いろんな方法でボーカル探しに奔走したものの、理想とするボーカルに巡り合えなかった。

意気消沈しながら、Youtube動画を観ていたニールは、ジャーニーのカバーをしているバンドの映像を観ることになる。

運命が変わった瞬間だった。

「Faithfully」by Arnel Pineda with Zoo Band

彼ははるか遠いフィリピンのほぼ無名のシンガーに白羽の矢を立てたのである。

 

アーネル・ピエダの半生を描いた映画  Don’t  stop beleivin

TV番組での紹介にもあるように、アーネルの人生は決して順風満帆ではなく、どちらかというと苦難に満ちたものだった。

13才で最愛の母を亡くした上に、母の入院費と治療代で一家の生活費が底をつき、少年時代は2年間もホームレス生活を送っている。

その後、いくつものバンドを渡り歩き、歌手として何とか生活できるようになった。ポップスでアジア圏を中心にスマッシュヒットが2曲ほどある。

アーネルは才能のある歌手だったが、気がついた時には40才に差し掛かろうとしていた。

このまま貧しくても、彼は愛する歌を歌い続けていっただろう。
Youtubeにアップしたのも、ライブの記録のためであり、オーディションに応募するためではなかったのである。

彼の実力が本物だったからこそ、オーディションの話がきたんだよね。

今は世界中どこにいても、本当に実力のある人には向こうからスカウトにくる時代なんだなと思うと、とてもいい時代になったなと思う。

 

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